2014年決意
2014-04-14


忘我探求。

忘我の方法を求める。


メモ
・自我とは幻想
身体はネットワークとして機能している。
司令塔があるわけではない。脳という司令塔モドキはある。

・やっかいな自我
「自我意識」は脳の防衛機能である。時には、行き過ぎる。

・「私」を消すことは可能か?
消すのではなく、消えるのでもない。
「私」とは、もともと、脳の思い込み。

・近代的自我の拡がり
唯脳論の勝利。脳を否定するのではない。その機能を理解し、上手に付き合うこと。

・デカルトの考えを納得することの誤り
我思う、故に、我ありとはならぬ。
我は痛みが判る、故に、我ありであろう。

・個人主義とキリスト教
一神教と個人主義は対称形で、親戚同士。

・民主主義の基盤としての個人
民主主義は個人が存在することを前提としている。

・国民国家の成立
国民国家も個人の存在を前提。

・だから、キリスト教と個人主義と民主主義は三位一体であり、一身同体。

個人主義の果てに:
・国民国家の解体とグローバリズム
個人の分散が分人か、個人ではなく分人か。

・分人主義の怖いところ
個人の分断、最小化。消費の拡大に繋がる。一方、多様性の拡大。

結論として、近代的自我の定義が不明瞭になっているのが現状。従って、「忘我」という行為は定義できないし、その方法は存在しない。

となれば、「忘我」ではなく、「自我」の再定義から始めなくてはならないということ。特に、自己と環境との関係性について再び検証してみたい。
[ライフスタイル変革]
[武道]

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